縁起・概要・ご利益・パワースポット/玉の輿の由来に関わる文京区護国寺
護国寺は東京・文京区にあるお寺です。
広い境内は、門構えからして、男性的な感じがします。
ところが、このお寺のご利益は、恋愛成就や縁結びなど、女性にうれしい?玉の輿のご利益が受けられるスポットとして有名だそうです。
その由来は、このお寺が江戸幕府の五代将軍・徳川綱吉の母、桂昌院のために建てられたものだからです。
桂昌院はもともと町民、八百屋の娘のお玉という女性でした。それが三代将軍・家光の目に留まり、側室になりました。そしてその後のちの将軍を産み「お袋様」として大出世したのです。
この逸話から「玉の輿」という言葉が生まれたと言われています。
まさに江戸時代のシンデレラストーリーですね。
仁王門をくぐって、階段の右手前に「音羽富士」の名称でも知られる護国寺の富士塚がありました。
真っ直ぐこちらへ戻ってくるか分かりませんでしたので、参拝する前に富士登山をしておきました。
久々の富士塚です。
楽しかったですが、それなりに狭くてきついので、足下には気をつけてください。
護国寺には建立当時に建てられた本堂の他、8つの重要文化財が存在しますが、他にも歴史上の著名な人物の墓所があることにも注目です。
私が出かけた日は、人もまばらでした。
ご朱印を頂く間、本堂には一人だけで、ゆったりと見て回ることが出来ました。
正面、右手にいらっしゃる不動明王様が、特に気になりました。
正直に申しますが、本堂の中だけが、心地よかったです。
本堂に上がらずに帰られる方がほとんどでしたが、本堂内の素晴らしさは必見だと思います。
護国寺は、空間に対して、木々が少なすぎます。
大隈重信や山縣有朋など明治維新の志士たちの他に、作曲家の團伊玖磨、建築家のジョサイア・コンドルなど名前の知られた偉人のお墓がたくさんあるので、恋愛祈願の女性だけではなく、歴史好きにはたまらないパワースポットだと思いました。
境内の風情/玉の輿の由来に関わる文京区護国寺
入り口に交番があるので、直ぐ分かります。
護国寺仁王門です。
階段を上がる手前に富士塚がありました。
音羽富士というそうです。
太鼓橋を渡って 早速登山です。
遠くから鳥居が見えたので、何かなとは思っていました。
結構な造りをいています。
音羽富士山頂よりの眺め
浅間神社です。確かに富士山は簡単には登れませんから。
ネコが多かったですね。
階段を登り切ってなぜか右側に進みました。
護国寺の大師堂です。
大師堂左手にあります。
実は、扉を開けて一言お願いが出来ます。
こちらで、お願いをさせて頂きました。
威風堂々とした護国寺本堂です。
ご朱印は、中に入り本堂右手にて頂けます。
護国寺本堂内は、素晴らしい空間でした。
天井も素敵でした。写真は不可だと思います。
ここまで来ると直すに直せませんね。
護国寺薬師堂でも大切なお願いをさせて頂きました。
感謝の言葉だけを述べてきましたが、日光東照宮奥宮で、お願い事をしても良いと感じまして、それから、感性の合う場所では、お願い事をしています。
ウィキペディア/玉の輿の由来に関わる文京区護国寺
護国寺は幕府の祈願寺で、檀家を持たなかったため、明治維新後は後ろ盾を失い、経済的な苦境に陥った。境内地5万坪のうち、東側の2万5千坪は宮家の墓所(豊島岡墓地)が造られた。これは1873年(明治6年)の明治天皇の第一皇子稚瑞照彦尊の薨去(死産)を機に、護国寺境内の東半分が皇族墓地とされたものである。また、西側の5千坪は陸軍用墓地となり、境内は2万坪ほどに縮小した。(現在、陸軍墓地は護国寺墓地の一角に整理されている)
また、稚瑞照彦尊の生母、葉室光子も1873年に亡くなるが、皇族墓地に入れず、護国寺境内に葬られた。のち、境内に三条実美、山県有朋、大隈重信らの墓所が造られた。
出典:ウィキペディア
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