◆読み方 日枝神社(ひえじんじゃ)
◆ご利益 出世運、仕事運、縁結び
◆御朱印
◆拝観時間 開門時間 午前5時 閉門時間 午後6時(4月~9月)
開門時間 午前6時 閉門時間 午後5時(10月~3月)
◆拝観料 無料
◆駐車場の有無 有り(参拝者のみ無料)
◆アクセス
銀座線・丸の内線 赤坂見附駅(出口11) 徒歩8分
南北線・銀座線 溜池山王駅(出口7)徒歩3分
千代田線 国会議事堂前駅(出口5)徒歩5分
千代田線 赤坂駅(出口2)徒歩3分
◆地図
大銀杏の迫力に圧倒されます
登るのも降りるのもきつい坂です
左手に女坂があり緩やかに登れます
実はこちらで御朱印がいただけます(同じデザイン)
綺麗になりました
令和元年で混んでいました
運気が上がる妻猿
魔が去る夫猿
仕事運・開運のパワースポット猿田彦神社と山王稲荷神社
インスタ映え山王稲荷千本鳥居
エスカレーターが外にむき出しであります
6月:日本三大祭り・江戸三大祭りの山王祭
今回は山王下交差点側から参拝しました
このあたりの木々はパワーが有ります
毎回よりたいと思うのですが今回も用事があってパス
御朱印の看板に導かれて・・・
同じ御朱印だそうです
参拝前にお願いして神門から境内へ
バナナですか・・・
残念ですが藤には少し早かったみたいです
やっと囲いの取れた猿田彦神社・山王稲荷神社
同行者1
暑い中並んでいます
御朱印も社務所に列ができていました
帰りはこちらから溜池山王駅へ
開運パワースポット 仕事運・出世運 日枝神社 開運のパワースポット、赤坂日枝神社へ合間を縫って参拝してきました。 仕 …
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]]>久しぶりとなる九頭龍神社本宮月次祭へ参加してきました。
如月(きさらぎ)月の参拝となります。
前日、明らかに雪が降っていたようです。
当日は多少のちらつきの中、無事に神事が執り行われました。
今回は『心願成就』の御祈祷を願い出ました。
芦ノ湖周辺まで交通機関を使う場合、費用がかなりかかります。
その点箱根フリーパスは、たとえ一日だけ利用でも元が取れます。
九頭龍神社はかなり不便な場所にあります。
私は湖畔を歩くのが好きですから、普通に歩いて行きますが箱根園から20分ほどかかります。
しかし、13日の九頭龍神社本宮月次祭参加だけに絞るのでしたら、ツアーバスがオススメです。
初めての箱根九頭龍神社月次祭参列は、『四季の旅』さんのツアーでした。
他にも『クラブツーリズム』さんとか色々あるようです。
私は辻堂なので、正直、早朝に新宿まで行くのが大変でした。
ところが今回、自力で参加して実感しましたが、ツアーはとても楽です。
難点は一斉に行動するので、お昼を食べる所を確保するのが大変なことでした。
一の鳥居の側にコンビニがあり、中で食べることも出来ます。
箱根芦ノ湖観光では、覚えておいて損は無い情報です。
ほぼ寝ないで出発しました。
小田原駅小田急改札前にある券売機で『箱根フリーパス』を購入します。
以前は操作方法が判りにくかったのですが、すっかり改善されていました。
『箱根フリーパス』購入案内がありますので、指示通りにサクッと購入出来ます。
クレジットでも購入可能です。
『小田原駅東口3番乗り場』からバスに乗ります。
もちろん『箱根フリーパス』利用です。
経路が色々ありますが、早朝なので間違えても箱根町港には、受付が始まる前に着けます(間違えましたが、早すぎると居る場所がないので、ちょうど良かったです)
晴れていれば、富士山が望める撮影スポットです。
お約束ですが、私は鳥居をくぐる派ですので、左では無く一ノ鳥居へご挨拶して通過しました。
九頭龍神社月次祭受付は、『芦ノ湖遊覧船元箱根港案内所』前で7時半ぐらいから行われます。
私は、九頭龍神社月次祭祈願申し込みをした後に、箱根神社と九頭龍神社新宮へ参拝に行きました。
早朝なので、あり得ないほど静かです。
豊かな時間を過ごせました。
湖畔にはこんな施設もあるんですね。
箱根神社太鼓橋です。
湖上に浮かぶ箱根神社大鳥居です。
朝は本当に清々しいです。
湖畔からこの石段を登って箱根神社と箱根九頭龍神社新宮へ向かいます。
八時前には開いていました。
さて気分良く豊かな時間を過ごした後は、九頭龍神社まで歩きます。
およそ40分ぐらいでしょうか。
二度ほど歩いたことがあります(一回は桃源台港から元箱根まで歩きました)
しかし、今回は準備万端、箱根高速バスを利用するプランで来ました。
『小田急山のホテル前』バス停はここを登ったホテル正面です。
毎日9時5分に新宿行きが始発で出発します。
当然箱根フリーパスを使えます。
普通に乗り合いバスとしても190円で箱根園まで行けます。
私しか乗りませんでした。
このバスは充電できるのですが5分ではどうにもなりませんでした。
バッテリーをもってくるのを忘れて大変困りました。
箱根で充電できる場所を探すのは大変ですからお気をつけください。
バス乗り場は2番で、駒ヶ岳ロープウェイ乗り場の下にあります。
以前は乗り場がよくわからなかったのですが・・・
ゆっくり湖畔を楽しんでいたら、参拝船到着が先でした。
普段は500円の入場料(森の管理費として)が必要ですが、13日午前中のみ無料で入ることが出来ます。
そこで、入場料を払ったつもりで900円のカステラを購入しました。
なんと金粉入りです。
先に白龍神社へ参拝しました。
美しい湖畔を歩くこと5、6分『箱根九頭龍神社本宮』へ到着します。
雪の関係なのか、参拝者が少なかったと思いました。
翌日、箱根神社へ再度参拝して引き換えてきました。
知りませんでしたが、この九頭龍神社月次祭参拝祈願之証を12枚(ただし、同じ月は2枚まで)頂くと玉串拝礼参加が出来るようです。
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]]>◆拝観時間 社務所は9時から17時です
◆拝観料 拝観自由です
◆駐車場の有無 有り
◆アクセス 西武新宿線田無駅から徒歩6分
◆地図
◆読み方 たなしじんじゃ
◆ご利益 五龍神パワーであらゆるご利益
◆御朱印
◆五龍神で有名
◆金龍:運気向上・幸福招来
◆赤龍:勝運向上・成績向上
◆白龍:金運向上・良縁成就
◆黒龍:健康増進・家内安全
◆青龍:技芸向上・就業成就
◆龍の彫刻が素晴らしい
◆ご神木が優しい
◆それぞれの龍神にご神木があります
◆おみくじコーナー?が目移りする
◆神心の碑では自分も写ってしまう
後ほど制作予定です
お守りも種類が多すぎて逆に困りました
おみくじもたくさん
お祭りに来たかのような楽しさ溢れる神社です
西武新宿線田無駅北口です。
驚愕しました、自分の知ってる田無駅ではない。
なんとなく下に降りずに右方向へ向かい建物の中を突っ切ってみました。
シンエイ動画社屋(時間がなくて寄れなかった)
田無神社は総持寺・田無神社前交差点から直ぐです。
石段を上がると田無神社龍神の道
ふと右手をみると赤龍様が・・・
賀陽家屋敷稲荷神社、マンションに入るような鳥居の奥です
白龍神様
奥も気になります
白龍様の反対側には道祖神様
道祖神様です
田無神社の道祖神様は縁結びのご利益です
ゴジラではありません。獅子頭(ししがしら)
白龍の水
納めさて頂きました。ありがとうございます。
御朱印はこちらです。300円納めました。
これが気になりましたが、帰りには忘れていました。
茅の輪、久しぶりでした。
拝殿正面に金龍様です。彫り物がすごいです。
写真が悪いですが金龍様です
拝殿左手のご神木です。金龍のご神木だと思います
とにかく何度でも触れさせていただきます。
ぐるりと周囲を回れますのでぐるりと触れさせていただきました。
社殿から後ろを振り向くと不思議な場所がありました。
なんとおみくじコーナー
エンターテイメントです。楽しくて大好きです。
子育ての犬
親子石、やはり触れると良いそうです。
素戔嗚尊(すさのおのみこと)をお祀りしている津島神社。疫病よけ、子供の守護のご利益です。
津島神社から見た拝殿
弁天様もいらっしゃります
北参道、駐車上は向かって左です。
黒龍様です
北参道からみた田無神社境内
それにしても田無神社のご神木は優しいですね
大鵬ゆかりの土俵だそうです
青龍様です
左側の祠だけお参りしました。
野分初稲荷社です。
恵比寿・大黒様です。触れると良いそうです。
なぜか鯛も叩きます
神心の碑
東参道です
鳥居の外に撫龍
再訪問時に追記します
彫刻がとにかく素晴らしかったです
ドラえもん、クレヨンしんちゃんの制作現場
中も見学できそうでした。
こちらのプラネタリウムは、映像途中で学芸員の方が解説をしてくれます。
これがまた素晴らしいのです。館全体で来場者を楽しませようとしているのが感じられて好感が持てます。
アクセスが悪いのが玉に瑕なのですが。
駅からかなり歩きます。
田無神社の創立は正応年間(建長年間説もありますが、いずれも鎌倉期、十三世紀)です。谷戸(註1)の宮山に鎮座し、尉殿大権現(じょうどのだいごんげん)と呼ばれていました。ご祭神は龍神様です。
時代は下り、徳川家康が江戸幕府を開くにあたり、城、町建造のために大量の石灰(壁の材料)を必要としました。家康はそれを青梅の地に求め、青梅街道を開きました。その際に、肥沃な谷戸に住んでいた人々は、こぞって1kmほど南の青梅街道沿いに移住し、宿場町・田無を造営したのです。
この様な歴史の中で、人々は宮山に鎮座する尉殿大権現を、まず元和八年(1622年)に上保谷に分祀(註2)し、正保三年(1646年)に宮山から田無(現在の地)に分祀し、寛文十年(1670年)には、宮山に残っていた尉殿大権現の本宮そのものを田無に遷座(註3)しました。
さらに、尉殿大権現は明治五年(1872年)に熊野神社、八幡神社を合祀し、田無神社と社名を改めました。その際に、主祭神・大国主命と須佐之男命(すさのおのみこと)、猿田彦命(さるたひこのみこと)、八街比古命(やちまたひこのみこと)、八街比売命(やちまたひめのみこと)、日本武尊命(やまとたけるのみこと)、大鳥大神(おおとりのおおかみ)、応神天皇(おうじんてんのう)をお祀りして、現在に至っています。註1 谷戸とは田無北部の水の豊かな地域の地名
註2 分祀とは神社の祭神を別の地にお分けしてお祀りすること
註3 遷座とは祭神をそっくり別の地に移してお祀りすること
神様と神社の関係が判ると、神社巡りが捗ります!
古事記にも嵌まりそうです。
神社仏閣によっては、御朱印はまさにアートです!
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]]>◆拝観時間
季節により異なります
8:30~17:00(4月~9月)
9:00~17:00(10月~11月、3月)
9:00~16:30(12月~2月)
◆入山料 500円(大人)
◆駐車場の有無 有り:有料500円(普通車)
◆アクセス
近鉄大阪線長谷寺駅を下車、始めに駅前の急坂を下り川を渡って緩やかな登り 徒歩15分ほどです。
◆地図
◆読み方 長谷寺(はせでら)
◆ご利益 縁結び 立身出世(わらしべ長者伝説)
◆御朱印
◆花の御寺(はなのみてら)として有名です。特に牡丹祭があります。そのほか、アジサイ、キョウチクトウ、秋の紅葉、寒桜が有名です。
◆源氏物語にも登場する二もとの杉が現存している。
◆巨大な十一面観音菩薩像、春と秋に指に触れることができる特別拝観が行われるそうです。
◆圧巻の国宝である長谷寺本堂舞台からの絶景。感動しました。
◆触れることのできる大黒様がいらっしゃる大黒堂。
◆昭和になって建てられた五重塔(以前は三重の塔でしたが落雷等で焼失しています)
詳しくは公式サイトで
駅前からいきなり谷底に降りる感じの下り坂です。
川を渡るとだらだらと上り坂、ぽつぽつと土産物やさんが在ります。
やっとついたと安心してはいけません。ここから長谷寺は急勾配を上ることになります(足の悪い方は、社務所で車を回していただけるようです)
7月初旬はあまり人がいませんでした(花もほとんど咲いていません)
「和」の世界です。
長谷寺山門をくぐるまでは・・・
石上神宮、三輪山を登った後に、この廊をみて唖然としました。
登り切りますと本堂入り口に出ます。御朱印は右手少し先に行ったところに社務所があります。
長谷寺本堂舞台からの眺めです
再訪問時に追記します
◆奈良最大のパワースポット三輪明神大神神社と三輪山登山!下山後の三輪そうめんが美味過ぎでご利益満点
◆日本書紀記載のパワースポット奈良石上神宮で健康祈願!ご利益御朱印でパワースポット
◆健康祈願に世界遺産奈良薬師寺白鳳伽藍と玄奘三蔵院伽藍でご利益パワースポット参拝
◆奈良唐招提寺鑑真和上に思いを馳せる!ご利益パワースポットで御朱印
◆神使の鹿に見つめられ春日大社へ念願の感謝参拝!ご利益パワースポトで御朱印
長谷寺の創建は奈良時代、8世紀前半と推定されるが、創建の詳しい時期や事情は不明である。寺伝によれば、天武朝の朱鳥元年(686年)、僧の道明が初瀬山の西の丘(現在、本長谷寺と呼ばれている場所)に三重塔を建立、続いて神亀4年(727年)、僧の徳道が東の丘(現在の本堂の地)に本尊十一面観音像を祀って開山したというが、これらのことについては正史に見えず、伝承の域を出ない。承和14年(847年)12月21日に定額寺に列せられ、天安2年(858年)5月10日に三綱が置かれたことが記され、長谷寺もこの時期に官寺と認定されて別当が設置されたとみられている。なお、貞観12年(870年)に諸寺の別当・三綱は太政官の解由(審査)の対象になることが定められ、長谷寺も他の官寺とともに朝廷(太政官)の統制下に置かれた。それを裏付けるように10世紀以後の長谷寺再建に際しては諸国に対しては国宛を、諸寺に対しては落慶供養参加を命じられるなど、国家的事業として位置づけられている。
長谷寺は平安時代中期以降、観音霊場として貴族の信仰を集めた。万寿元年(1024年)には藤原道長が参詣しており、中世以降は武士や庶民にも信仰を広めた。
長谷寺は東大寺(華厳宗)の末寺[1] であったが、平安時代中期には興福寺(法相宗)の末寺となり、16世紀以降は覚鑁(興教大師)によって興され僧正頼瑜により成道した新義真言宗の流れをくむ寺院となっている。天正16年(1588年)、豊臣秀吉により根来山(根来寺)を追われた新義真言宗門徒が入山し、同派の僧正専誉により現在の真言宗豊山派が大成された。近年は、子弟教育・僧侶(教師)の育成に力を入れており、学問寺としての性格を強めている。
十一面観音を本尊とし「長谷寺」を名乗る寺院は鎌倉の長谷寺をはじめ日本各地に多く240寺程存在する。他と区別するため「大和国長谷寺」「総本山長谷寺」等と呼称することもある。
出典Wikipedia
神様と神社の関係が判ると、神社巡りが捗ります!
古事記にも嵌まりそうです。
神社仏閣によっては、御朱印はまさにアートです!
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]]>◆読み方 はしりみずじんじゃ
◆ご利益 恋愛成就・女子力アップ・癒しパワー
◆御朱印 300円を納めました
◆拝観時間 参拝自由(社務所は9時~15時)
◆拝観料 拝観無料
◆駐車場の有無 無料の大型駐車場がありました。
◆アクセス 京浜急行 馬堀海岸駅から観音崎行きバスに乗り「走水神社」下車。徒歩2分。東叶神社から徒歩で50分前後。
◆地図
走水神社は神奈川県横須賀市にある神社です。京浜急行に乗り「馬堀海岸駅」で降ります。そこから観音崎行きのバスに乗り「走水神社」で降りるとすぐにあります。アクセスも良くとても静かな場所にあります。
この走水神社はパワースポットとして人気を呼んでいる神社です。ご利益としては「開運」「商売繁盛」「恋愛成就」「女子力アップ」などとされていて、女性が多く訪れるそうです。
走水神社の御祭神としては「日本武尊」とその妻の「弟橘媛命」となっています。日本武尊が東征へ向かう途中に走水から上総へ向かおうとしたところ、暴風雨にあい、立ち往生してしまいました。海神の怒りを鎮めるために妻の弟橘媛命が荒れ狂う海へ自ら身を投げて航海の安全を図ったという素敵な伝説に基づき創建された神社です。夫婦で祭られていますし、女性のの素晴らしい活躍を祭った神社なので女性に人気があるみたいです。
この走水神社ではまず本殿へと続く急峻な石段を一段一段しっかりと登ることで女性らしさを高めていくという言われがあるそうです。
走水神社本殿左手側の山道を少し登ると三つの社があり、それぞれ「神明社」「諏訪神社」「須賀神社」と呼ばれています。
走水神社では静寂と神聖な気に包まれることができ、癒しのパワースポットとしてとてもオススメな場所です。強い守護のパワーがあるとも言われています。
走水神社行く途中の景色もまた素晴らしく、海が見渡すことができ癒されます。
また、走水神社では手水舎でご神水のお水取りができ、ここの水は深さ30メートルの地下から富士山の霊水が長い時間をかけて湧き出しているとされている真水であり、とても浄化のパワーが強い水となっているそうなので是非、ここで手を清めてください。
また、ご神水は頂いて帰ることもできるそうなので入れ物を持参すると良いですね。
ご神水を頂く前に必ず走水神社本殿に参拝をしてから、水を頂き、お水とりをした水を持ってもう一度参拝に行くとさらに願いが叶うとされています。
さらに手水舎の隣でお砂取をすることもできます。砂を取って家に持って帰り、家の東西南北の隅に砂をまきます。残った砂は小さな容器に入れて玄関においておくと悪い気が入ってこないとされています。
お砂取の袋はお守りなどが売っている社務所でもらうことができました(変わるかも判りませんのでご用意下さい)
準備中
走水神社例大祭は毎年10月
須賀神社例祭(夏季例祭)は2年に一度、宮神輿が走水町内を巡行
お砂取りの袋をいただきました
走水神社境内正面です
左手に進み細い路地を登り切ったあたりに大きな駐車場があります
走水神社駐車場奥です。きちんと整備されています。
駐車場脇から境内へ入れました
手水舎です。お水取りが出来るそうです。
走水神社はお砂取りが出来ます。扉の中のお砂が置かれていました
走水神社は、海岸沿いとは思えない雰囲気です
走水神社石段途中にご神木がありました
走水神社は由緒ある神社らしくてとても心地よいです
本殿左手に走水神社別宮
さらに進みますと海を一望できます。
その先の石碑です。20メートルほど登ります。
キリスト生誕から110年後の話です。
ここはとても心地よいです。必ず上まで登られることをおススメします。
諏訪神社
神明社
須賀神社
社殿右手より
走水神社旧別宮
水神が祭られていました。
河童が何ともカワイイ
こちらが走水神社社務所です。
再訪問した時に追記していきます
走水神社は、12代景行天皇の皇子、日本武尊(やまとたけるのみこと)と御后の弟橘媛命(おとたちばなひめのみこと)二柱をお祀りしております。
景行天皇即位40年、東国の騒動を静めるため日本武尊にその鎮定を命じました。
勅命を奉じて日本武尊は、伊勢神宮に参詣され戦勝祈願をなし、神宮の斎宮であった叔母の倭姫命(やまとひめのみこと)より神宝の雨叢雲之剣(あめのむらくものつるぎ)と火打袋を授けられ、東国に東征の軍を起こされました。途中、静岡(焼津)において賊にだまされ火攻めの難に遭遇されましたが雨叢雲之剣で草を薙払い向火を放ち形勢を逆転させて賊を討伐したといわれ、これよりこの神宝を草薙之剣(くさなぎのつるぎ)とも呼ばれ、以来熱田神宮の御神宝となっております。
日本武尊一行は、焼津、厚木、鎌倉、逗子、葉山を通り走水の地に到着されました。
ここに、御所(御座所)を建てました。(現在の御所が崎といわれています)
走水の地において、軍船等の準備をし上総に出発するときに村人が日本武尊と弟橘媛命を非常に慕いますので、日本武尊は自分の冠を村人に与えました。村人はこの冠を石櫃に納め土中に埋めその上に社を建てました。(走水神社の創建です)
日本武尊は、上総国へ軍船でいっきに渡ろうと船出されましたが、突然強い風が吹き海は荒れ狂い軍船は波にもまれ進むことも戻ることもできず転覆するかの危機に、日本武尊に付き添ってこられた御后の弟橘媛命が「このように海が荒れ狂うのは、海の神の荒ぶる心のなせること、尊様のお命にかえて海に入らせて下さい。」と告げ、「さねさし さがむのおぬにもゆるひの ほなかにたちて とひしきみはも」と御歌を残し、海中に身を投じられました。たちどころに海は凪ぎ風は静まり日本武尊一行の軍船は水の上を走るように上総国に渡ることが出来ました。以来、水走る走水と言われております。
上総、下総、常陸、日高見の国々の蝦夷を討ち平らげて大和に帰る途中、碓氷峠から遥か東方に光る走水の海の輝きを望み、その海に身を投じ武運を開いてくれた媛を偲び「あ~吾が妻よ」と嘆き呼びかけられたという、そしてこれをもって東国を東(吾妻)「アズマ」と呼ぶようになったといわれております。
奈良時代の初期に編纂された『古事記』『日本書紀』にも記されております。
また、弟橘媛命が御入水されてから数日して海岸に櫛が流れ着きました。村人たちはその櫛を日本武尊と弟橘媛命の御所があった御所が崎に社を建て、櫛を納め橘神社としましたが、明治18年に御所が崎が軍用地になったため、橘神社は走水神社の境内に移され、明治42年に走水神社に合祀されました出典:走水神社公式
神様と神社の関係が判ると、神社巡りが捗ります!
古事記にも嵌まりそうです。
神社仏閣によっては、御朱印はまさにアートです!
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]]>◆読み方 かのうじんじゃ
◆ご利益 夢が叶う・縁結び
◆御朱印 東西とも300円を納めました。
◆拝観時間 拝観は自由だそうです
◆拝観料 東、西叶神社とも拝観自由でした
◆駐車場の有無 東西どちらにも無料の駐車場が完備されています。
◆アクセス
京急浦賀駅から歩いても20分ぐらいだと思います。
西叶神社:京急線浦賀駅から京浜急行バス「京急久里浜駅」「JR久里浜駅」行・「紺屋町」下車・徒歩約1分
京急線久里浜駅から京浜急行バス「浦賀駅」行き乗車・「紺屋町」下車・徒歩約1分
東叶神社:浦賀の渡しで3~4分、徒歩で3~4分
バスは観音崎方面 新町下車徒歩5分
◆地図
叶神社(かのうじんじゃ)というパワースポットが東と西に二つあります。
東西どちらの叶神社からお参りしても問題ありませんが、西で頂ける勾玉を東のお守り袋にいれることをお考えでしたら、西から参拝がいいと思います。
二つは渡し船(しかも公道だそうです)によって繋がっていて東と西の叶神社の二つのお守りが揃うと一つのお守りになるご利益があるそうです。
また叶神社の周りには二つの坂があり坂を登ると結ばれるという縁結びのご利益もあります。ただし、石段を200段以上登らなければいけません。
叶神社のお守りは西の叶神社では透明な水晶、赤色のめのう、緑色のひすいの三種類から選べる勾玉が頂けます(500円でした)。東の叶神社ではブルーとピンク、グリーンのお守り袋が頂けます(500円でした)。
東のお守り袋に西の勾玉を入れると一つのお守りになるのだそうです。
一つになることで縁結びにつながるようです。
パワースポット巡りをする人やパワースポットが好きな人にとっては、叶神社は外せない場所です。
縁結びの力ももらえますし、石段を登りきったあとの景色は爽快でとても綺麗なのでそこでも元気をもらえます。
西の叶神社から東の叶神社に移動するためには徒歩でも行けますが渡し船があり船での移動をすると楽でだと思います。
渡し船は現在200円で乗ることが出来て、5分程度乗れば着きます。
恋愛面での縁結びにも効果があるようですが、友人や職場などの縁も良好なものになると言われています。
また、ほかにも厄除開運や家業の繁栄などにもご利益があるとのことです。
心から願うことで叶う可能性が高まるため頭で考えて神様に願うよりも心から願い伝えることが大切です。また、自分のことだけを考え自分だけが幸せになりたいと願うよりも自分が縁結びで出会い周りの人をたくさん幸せにしたいなどと考えていると神様は力を貸してくれるとのことです。
それにしても「叶う神社」というネーミングは天才的ですね。
西叶神社行事情報:西叶神社公式
東叶神社行事情報:東叶神社公式
勾玉、お守り袋ともに3種類ありました。
車で来所する場合はゆっくり走らないと通り過ぎてしまいます。
無料駐車場が境内前にありました。
有名なパワースポットです。
彫り物が何とも言えず凄かったです。
海を眺めたところです
社務所の飾りが何気に素敵でした。
御朱印と勾玉をいただきました。
社務所前から社殿を眺めてみました
運航時間には注意が必要です。
呼び出しブザーを押すと対岸からでも来ていただけます
東側の待合です。
どちらの側にもトイレが完備されていました。
自転車も運んでもらえます
右側に無料駐車場があります
社務所奥にも不動様などが・・・
奥の院へ登る手前にお神輿がありました
英国風の喫茶店みたいです。
コーヒー紅茶500円と表記されています
そこそこの段数がありました。
明神山山頂にある叶神社奥の院です。
勝海舟が渡米する前に断食したとされる場所です。
勝海舟にちなんで勝守がありました。
東照宮と神明社が鎮座せられていました
山頂からの眺めです
社務所脇にある厳島神社(身代わり弁天)様です
井戸の水を引いているそうでこの流水で硬貨を掛けながすと弁天様のお力で開運と金運が得られるそうです。
さっそく、自分もかけ流ししてみました。
我唯足るを知る
不動明王様です、気付きにくい存在でした
再訪問した際に追記していきます
叶神社は八幡宮です。
東叶神社裏手の明神山には浦賀城がありました。
当社は養和元年(1181)神護寺文覚上人が京都、石清水八幡宮より勧請し創建しました。
その由縁は、文覚上人が源頼朝の為に源氏再興を発願し、治承年間(1177?1180)上総国(千葉)鹿野山に参篭しました。源氏氏神と称え奉る石清水八幡の神に祈念をし、源氏再興の本願が叶えられれば勝地を探し求め八幡の一社を建立、末永く祭祀をせんと誓いをたてました。
養和元年大願成就の前兆を感得し、社殿建立の勝地を求め、各地遍歴の末に鹿野山に相対する浦賀西岸の現在地に石清水八幡宮の神を祭祀する社宇を建立し、文治2年(1186)神の霊験により源氏再興の大願が叶うたところから、叶大明神と称するようになりました。御祭神
誉田別尊(応神天皇)
比売大神
息長帯比売命(神功皇后)
以上併せて八幡大神と尊称する出典:西叶神社公式
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]]>◆読み方 大神神社(おおみわじんじゃ)
狭井神社 (さいじんじゃ)
久延彦神社 (くえひこじんじゃ)
◆ご利益 金運、健康運、仕事運、商売繁盛など
◆御朱印
◆拝観時間 午前9時~午後5時
◆拝観料 無、三輪山登山は300円
◆駐車場の有無 無料駐車場もあります。
◆アクセス 三輪駅から徒歩5分。
ただし、一之鳥居へ廻る場合は15分位みて下さい。
◆地図
◆大神神社には『下の院』が一之鳥居側にあります。
◆大鳥居が目立ちますが、その右手にひっそりとパワースポット一之鳥居があります。
◆三輪山のそのものを拝することから本殿がありません。
拝殿の先の三輪山を拝みます。
◆祭神が因幡の白ウサギを助けたご縁でなでウサギがいます。
◆縁結びの夫婦岩も有名
◆狭井神社左手奥には『薬井戸』がありました。
登山後に頂きましたが、美味しかったです。
狭井神社へ向かう道はくすり道と呼ばれていました。
◆三輪山登山には許可が必要!注意事項も多数あり
実際に登山してみて、かなりきつい勾配でした。雨の後は大変だと想います。
また、入山禁止日が在りますのでご確認下さい
参道には沢山の出店が並んでいました。
珍しい野菜や立派な生姜が安く売られていました。
もちろん三輪そうめんも。
山から下りてきたところにベストなタイミングで現れました。
美味しかったです。
久延彦神社 は 知恵の神様でフクロウが象徴的でした。
三輪駅から三輪山と反対方向へ向かって、一之鳥居を目指しました。
木性の素敵な大神神社一之鳥居です。
大神神社の一之鳥居はパワースポットとしても有名です。
正面が大神神社『下の院』です。
大神神社大鳥居から望む三輪山山頂。
この時点では、まさか三輪山登山するとは思ってもいませんでした。
先に大神神社『上の院』へ向かいました。
何とはないのですが、大神神社の鳥居は自然との一体感を感じます。
大神神社の参道です。清らかでした。
大神神社手水舎です。
大神神社の拝殿です。
大神神社拝殿前にある巳の神杉(みのかみすぎ)。
パワースポットです。
こちらで、御朱印を頂きました。
あと1つ、自分用にお土産を買いました。
大神神社拝殿右手です。神宝社があります。
大神神社祈祷殿です。左手に三輪山への道があります。
三輪山へと続く道は『くすり道』と呼ばれます。
大神神社内の狭井神社
狭井神社社殿です。右手に三輪山登山を願い出る受付があります。
薬井、美味しかったです。
大神神社三輪山への登山口です。
ココカラは撮影禁止です。裸足で登山されている方も結構居ました。
知恵の神様にお会いしたく、右折しました。
途中にある小高い丘
大神神社の撮影スポットです。
フクロウが欲しい!
この戒壇を降りてくるとお食事処でした。
きっちり帰りに大神神社『下の院』へ参拝しました。
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]]>◆読み方 唐泉寺 とうせんじ
◆唐泉寺ご利益 封じ護摩で有名、特にガン封じ・ボケ封じ
当選に引っかける方々も
◆唐泉寺御朱印
◆唐泉寺拝観時間 9時から17時
◆唐泉寺拝観料 無料
◆唐泉寺駐車場の有無 有り、無料
◆唐泉寺へのアクセス
◆唐泉寺地図
徒歩で唐泉寺へ向かう場合、先ずは大通りへ向かい、右折します
唐泉寺へわかりやすいので柴又街道口を左折
交番のある交差点を右折します
住宅地内を心地よい小径があるのは羨ましいです
左折します
唐泉寺入り口へは手前を左に駐車場にそって進みます
◆唐泉寺は日本唯一の封じ護摩の寺
◆唐泉寺1階にハーレーダビットソンが2台も展示?
◆唐泉寺はガン封じ・ボケ封じのお守り有
◆唐泉寺近くに上小岩遺跡有り
◆唐泉寺近隣に『鎌倉』という地名がある
さらに鎌倉八幡も!
◆上小岩親水緑道を歩くと気持ちが良い
住宅地の中ですからあまりアピールするのもですが
ガン封じのお守りを頂いてきました(千円)
周辺は住宅地でした。
食事は駅周辺まで戻る必要がありそうです。
唐泉寺はなんと3階建てです。
流石江戸川不動尊唐泉寺です。不動明王様がお出迎え
唐泉寺の不動明王様の前にカメ?
唐泉寺には沢山のガン封じの願いがかけられていました
唐泉寺2階の様子です
写真取り損ないましたが、唐泉寺のロウソクにはガン封じ・ボケ封じと印字されていました。
唐泉寺の住職様は四国を回られているようです
唐泉寺の招福
唐泉寺1階へ入るとハーレーダビッドソンが目に飛び込んできます
唐泉寺に転じされている曼荼羅(最近曼荼羅が気になります)
唐泉寺の門です。
唐泉寺を後にしましたら、空が気になり一枚
唐泉寺近辺には鎌倉という地名がありました
驚きの鎌倉八幡神社です
両さんも勤務したでしょうか?
免疫力とか
ワンちゃんの死因もがんが一位だそうです
次回以降に追記します
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]]>◆読み方 石上神宮(いそのかみじんぐう)
◆ご利益 健康長寿・病気平癒・百事成就
◆御朱印
◆拝観時間 5時半より17時半
◆拝観料 無し
◆駐車場の有無 4カ所あり、無料
◆アクセス 天理駅より徒歩30分ほどでした。
天理教総本山前を通過して山を登りました
バスの本数が極端に少ないので徒歩かタクシー利用が多いようです(タクシー代は1300円前後)
◆地図
◆日本書紀にも登場する由緒ある神社です。
◆境内に放し飼いされる鶏でも有名
◆国宝七支刀(しちしとう)は『日本書紀』の神功皇后摂政52年に百済から献上された「七枝刀(ななつさやのたち)」にあたると考えられています。
食べ処、お土産処が沢山有り過ぎます。
事前情報にどうぞ 天理本通り商店会公式
境内にて
パワースポットtとして名高い奈良天理にあります石上神宮で出かけて来ました。
私は石上神宮境内にしばらく居ましたが、護られているという感覚が湧きました。
あまりにも古く歴史を保存する難しさを感じます。
創建時はどんな装飾だったのか気になります。
天理駅を降りたのが早朝でした。
ちょうど日の当たる方角に石上神宮があります。
坂を登り切ったあたりに石上神社の石碑がありました
言い伝えで聖徳太子が鳥居をくぐる時にパワーを感じたというまさにパワースポット
右手奥が池になっています
ワタカでしょうか?
池の縁にある鶏小屋周辺には、たくさんの放し飼いされた鶏がいました。
早朝で気持ちが良かったので、池の周りをぐるっと一周しました
大和神社
桃尾の滝
大神神社
三輪山
奈良長谷寺
石上神宮は、大和盆地の中央東寄り、龍王山(りゅうおうざん)の西の麓、布留山(ふるやま・標高266メートル)の北西麓の高台に鎮座し、境内はうっそうとした常緑樹に囲まれ、神さびた自然の姿を今に残しています。北方には布留川が流れ、周辺は古墳密集地帯として知られています。
当神宮は、日本最古の神社の一つで、武門の棟梁たる物部氏の総氏神として古代信仰の中でも特に異彩を放ち、健康長寿・病気平癒・除災招福・百事成就の守護神として信仰されてきました。
総称して石上大神(いそのかみのおおかみ)と仰がれる御祭神は、第10代崇神天皇7年に現地、石上布留(ふる)の高庭(たかにわ)に祀られました。古典には「石上神宮」「石上振神宮(いそのかみふるじんぐう)」「石上坐布都御魂神社(いそのかみにますふつのみたまじんじゃ)」等と記され、この他「石上社」「布留社」とも呼ばれていました。
平安時代後期、白河天皇は当神宮を殊に崇敬され、現在の拝殿(国宝)は天皇が宮中の神嘉殿(しんかでん)を寄進されたものと伝えています。
中世に入ると、興福寺の荘園拡大・守護権力の強大化により、布留川を挟み南北二郷からなる布留郷を中心とした氏人は、同寺とたびたび抗争しました。戦国時代に至り、織田尾張勢の乱入により社頭は破却され、壱千石と称した神領も没収され衰微していきました。しかし、氏人たちの力強い信仰に支えられて明治を迎え、神祇の国家管理が行われるに伴い、明治4年官幣大社に列し、同16年には神宮号復称が許されました。
当神宮にはかつては本殿がなく、拝殿後方の禁足地(きんそくち)を御本地(ごほんち)と称し、その中央に主祭神が埋斎され、諸神は拝殿に配祀されていました。明治7年菅政友(かんまさとも)大宮司により禁足地が発掘され、御神体の出御を仰ぎ、大正2年御本殿が造営されました。
禁足地は現在も「布留社」と刻まれた剣先状石瑞垣で囲まれ、昔の佇まいを残しています。
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]]>◆読み方
薬師寺(やくしじ)
玄奘三蔵院(げんじょうさんぞういん)
◆ご利益 病気平癒 健康祈願
◆御朱印
◆拝観時間 8時半から17時まで
◆拝観料 有り 800円から1100円(拝観場所に依る)
◆駐車場の有無 有料有り(普通車500円)
◆アクセス
●近鉄なんばから快速急行または特急で大和西大寺で乗り換え。 各駅停車天理行きまたは橿原神宮前行きに乗車。西ノ京駅下車すぐ。
●近鉄京都からは特急・急行が西ノ京駅に停車します。(時間枠あり要確認)
※京都、難波から近鉄大和西大寺経由西ノ京まで約40分
※西ノ京駅から南門までは5分ぐらいです
◆地図
◆もともと持統天皇の病気平癒を願い建立されたお寺
◆修二会という旧暦2月に行われる五穀豊穣を祈願する催事が有名
◆白鳳伽藍とは遷移するまえの白鳳時代そのままの建物配置で造られているから
◆薬師寺は法相宗大本山です。
法相宗をインドから持ち帰ったのが玄蔵三蔵といわれています。
薬師寺にとって玄蔵三蔵は法相宗の始祖となります。
◆創建当時のまま残る東塔は現在補修中です。
周辺には目立った食事処はありませんでした
薬師如来様にご縁をいただきたく、参拝してきました。
広い敷地に空を活かした配置で圧倒されます。
2つの伽藍はそれぞれ趣が異なり別々の存在のように感じます。
山を背に配した鎌倉や、空気を制する伊勢とも違う素晴らしい空間でした。
私は唐招提寺から歩いて来ましたので先に、薬師寺玄蔵三蔵院伽藍に入りました
玄蔵三蔵が薬師寺法相宗の始祖ということだそうです
残念な事に拝観できませんでした
拝観出来る場合と出来ない場合で薬師寺の拝観料が異なります
入れないと入りたい・・・
しかし、奈良のお寺は空に愛されています
写経道場になっているようです
判りやすいので拡大しました
薬師寺興楽門(北側に位置します)
薬師寺の御朱印は大講堂で頂けます。
御朱印を頂く間、中をぐるっと回ってきました
いったん外に出て薬師寺南門から入り直しました。
こちらは薬師寺中門です
大仙古墳(仁徳天皇陵)
歴史[編集]
薬師寺は天武天皇9年(680年)、天武天皇の発願により、飛鳥の藤原京(奈良県橿原市城殿〈きどの〉町)の地に造営が開始され、平城遷都後の8世紀初めに現在地の西ノ京に移転したものである。ただし、飛鳥の薬師寺(本薬師寺、北緯34度29分33.88秒東経135度48分0.95秒)の伽藍も10世紀頃までは引き続き存続していたと見られる。
創建[編集]
『日本書紀』天武天皇9年(680年)11月12日条には、天武天皇が後の持統天皇である鵜野讃良(うののさらら)皇后の病気平癒を祈願して薬師寺の建立を発願し、百僧を得度(出家)させたとある。薬師寺東塔の屋上にある相輪支柱に刻まれた「東塔檫銘」(とうとうさつめい、「さつ」は木偏に「察」)にも同趣旨の記述がある。しかし、天武天皇は寺の完成を見ずに朱鳥元年(686年)没し、伽藍整備は持統天皇、文武天皇の代に引き継がれた。
「東塔檫銘」には、「清原宮に天の下を統治した天皇(天武)の即位八年、庚辰の歳、中宮(後の持統天皇)の病気のため、この伽藍を創り始めたが、完成しないうちに崩御したので、その意志を継いで、太上天皇(持統)が完成したものである」という意味のことが記されている。ここでいう「天皇即位八年、庚辰之歳」は、『書紀』の「天武天皇9年」と同じ年を指している。すなわち、『書紀』は天智天皇の没した翌年(壬申年、西暦672年にあたる)を天武天皇元年とするが、天武が正式に即位したのはその翌年(西暦673年にあたる)であり、「天皇即位八年」とは即位の年から数えて8年目という意味である[1]。
持統天皇2年(688年)、薬師寺にて無遮大会(かぎりなきおがみ)という行事が行われたことが『書紀』に見え、この頃までにはある程度伽藍が整っていたものと思われる。『続日本紀』によれば、文武天皇2年(698年)には寺の造営がほぼ完成し、僧を住まわせている。この創建薬師寺は、藤原京の右京八条三坊の地にあった。大和三山の畝傍山と香久山の中間にあたる橿原市城殿町に寺跡が残り、「本薬師寺(もとやくしじ)跡」として特別史跡に指定されている。
平城京への移転[編集]薬師寺式伽藍配置の概念図。A:中門、B:回廊、C:金堂、D:塔、E:講堂、F:鐘楼、G:経蔵
その後、和銅3年(710年)の平城京への遷都に際して、薬師寺は飛鳥から平城京の六条大路に面した右京六条二坊(現在地)に移転した。移転の時期は長和4年(1015年)成立の『薬師寺縁起』が伝えるところによれば養老2年(718年)のことであった。ただし、平城薬師寺境内からは霊亀2年(716年)の記載のある木簡が出土していることから、造営は養老2年よりも若干早くから始まっていたとみられる。『扶桑略記』天平2年(730年)3月29日条に、「始薬師寺東塔立」とあり、東塔(三重塔)が完成したのがその年のことで、その頃まで造営が続いていたものと思われる。
なお、平城京への移転後も、飛鳥の薬師寺(本薬師寺)はしばらく存続していた。史料や発掘調査の結果からは平安時代中期、10世紀ころまでは存続していたようだが、後に廃寺となった。本薬師寺跡には金堂・東塔の礎石、西塔の心礎が残っている。本薬師寺の伽藍配置は「薬師寺式伽藍配置」と称されるもので、中央に金堂、その手前に中門、背後に講堂を配し、金堂の手前東西に塔を置く。そして、中門左右から出た回廊が講堂の左右に達し、金堂、東西両塔は回廊で囲まれている。この伽藍配置は平城薬師寺においても踏襲されている。本薬師寺、平城薬師寺双方の発掘調査により、両伽藍の建物の規模、位置関係などはほぼ等しく、本薬師寺の伽藍を平城薬師寺に再現しようとしたものであることがわかる。ただし、平城薬師寺では中門の規模が拡大され、回廊も幅が広げられている。
平城京の薬師寺は天禄4年(973年)の火災と享禄元年(1528年)の筒井順興の兵火で多くの建物を失った。現在、奈良時代の建物は東塔を残すのみである。天禄4年の火災では金堂、東塔、西塔は焼け残ったが、講堂、僧坊、南大門などが焼けた。発掘調査の結果、西僧坊の跡地からは僧たちが使用していたとみられる奈良時代や唐時代の陶磁器が多数出土しており、天禄4年の火災の際に棚から落ちて土中に埋もれたものとみられる。出典:Wikipedia
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