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縁起・概要・ご利益・パワースポット/江戸の街を護った歴史的な場所愛宕神社
東京にある愛宕神社は、江戸に幕府を開いた徳川家康の命によって防火の神様として祀られたのが由来です。
その後、愛宕神社には末社仁王門や坂下総門、別当所などが次々と建立されました。
残念ながら江戸の大火災によって愛宕神社は全焼してしまいましたが、明治時代になり再建されました。
さらに関東大震災や太平洋戦争末期の空襲によって全焼してしまいましたが、戦後に再度愛宕神社本殿などが再建されました。
愛宕神社は標高26メートルの山の山頂にあります。
自然の山としては、東京23区内で一番高い山だそうです。
と言っても、標高25.7メートルです。
愛宕神社の大鳥居をくぐると、出世の石段と呼ばれる急な階段があります。
この階段は、勾配がきつく段も狭いので注意が必要です。
なお、トンネル手前に愛宕山へ登ることが出来るエレベーターがありました。
NHK放送博物館へも登れる共用のエレベータです。
その他にも愛宕神社へは、トンネル脇の石段や車も登れるスロープ(帰りはこちらを利用しました)、出世階段右手の女坂もありました。
出世の石段を上り一の鳥居をくぐると、丹塗りの門があります。
山頂は春は桜、夏は生い茂る樹木、秋は紅葉、冬は雪と、東京の都心部にありながら四季折々の姿を楽しむことが出来ます。
もともと愛宕神社は防災の神様が祀られているので、ご利益やパワースポットとしては火に関するものや防火・防災が有名だそうです。
火事で焼けてしまったのは、身代わりだったのでしょうか?
それ以外にも、商売繁盛や恋愛、結婚や縁結びにもご利益があります。
またちょっと変わったご利益としては、印刷やコンピュータ関係に関するものもあるそうです。
ほおずき市の際にこの門に茅の輪が設置され、この輪をくぐると災いを避けることが出来るみたいです。
愛宕神社も神前結婚式を行うことが出来るとのことでした。
山頂には大きめの池が有り、えさ場には鯉がよってきます。
愛宕神社で西郷隆盛と勝海舟が江戸の街を眺めて会談したそうです。
江戸の街を戦火から守った会談でした。
世界史に誇れる無血開城が、この場所で行われたと言うのも感慨深かったです。
やはり、防災の神様がおられるのでしょうね。
記念撮影も出来ました。
愛宕神社は歴史のある場所で、桜田門外の変で水戸浪士が集合した場所でもあるそうです。
境内の風情/江戸の街を護った歴史的な場所愛宕神社
江ノ島はエスカレーターで登れます。エレベーターで登れる山は初めてでした。
今回は、利用しませんでしたが、楽だと思います。
トンネル脇の石段です。結構きつそうでした。
東急REIホテル脇のスロープです。
愛宕神社正面の出世階段です。階段右手に女坂がありますが、それなりに思えました。
見上げてしまいます。
楓が落ちていて、拾い集めてしまいました。
愛宕神社の手水舎です。
この手の物は、大好きです。
平日でしたが、愛宕神社は人気がありますね。
愛宕神社社務所、ご朱印をお願いしました。
船が浮いています。
愛宕神社の池は、なぜか心地よいです。
愛宕山山頂を示す三角点!
西郷隆盛と勝海舟が会談したと言われる場所だそうです。
愛宕神社出世階段上から、帰りはパスしました。
女坂上から、やはりパスしました。
女坂と反対側へ降りれる階段です。
緩やかなスロープへと続きます。
ウィキペディア/江戸の街を護った歴史的な場所愛宕神社
平安時代、近衛天皇崩御後に院政を行っていた鳥羽法皇が天皇の甥である重仁親王を擁立しようとしたところ、親王の父である崇徳上皇が藤原頼長に命じて愛宕神社で呪詛を行わせて天皇を呪い殺したという噂が広まり、これに激怒した法皇は重仁親王の代わりに後白河天皇を即位させた。これがきっかけで保元の乱が発生したとされている。
天正10年(1582年)5月、明智光秀は戦勝祈願のために愛宕神社に参蘢し、本能寺の織田信長を攻めるかどうかを占うため籤を 3回引いたという。翌日、同神社で連歌の会(愛宕百韻)を催したが、その冒頭に詠んだ歌「時は今 あめが下しる 五月哉」は光秀の決意を秘めたものとされる。
出典:ウィキペディア
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